iLEAPの歴史
「なぜ日本なのか?」の根源は、2008年に開催されたiLEAP最初のプログラムから、はるか昔に遡ります。
1990年代半ば、南米からアジアまで二年間旅をした後、ヤマモトブリットは誕生以来初めて日本を訪れました。ほとんど日本語が話せない日系四世のアメリカ人のブリットは、竹熊宜孝教授に導かれ、熊本県にある日本の伝統的有機農業地に住むことにします。翌年、日本の伝統的有機農法と調理を学び、そして何よりも、健全なコミュニティと健康な土壌との関係性を深く理解しました。農地に関わる地元の人たちが相手のこと、そして地球のことを思いやる様子に、ブリットは心から感動しました。そこでは、文化と失われた伝統を活用し、新しい世代は農家として、食品加工業者として、起業家として、ソーシャルリーダーシップを引き起こしていました。社会的規範に関わらず、それぞれが意義ある生き方を選んでいたのです。ブリットが最も感銘を受けたのは、農家を意味する「百姓」という伝統的な日本語が、「百の才能がある人」とも捉えることができるということでした。深く啓発されたブリットは、「百姓のように」生きる、そして誰かのために人生が変わるきっかけと学びを作り出す、という新しく明確な目的と共に、日本を発ちました。
2003年、ブリットは、彼の配偶者でありiLEAPの創立メンバーでもある泉とともに、フルブライト奨学生として一年間日本で過ごすために、再び来日しました。その間、栃木県にあるアジア学院の隣に住み、アジアやアフリカからアジア学院に来た参加者たちに、セミナーをしていました。また、アジア学院の創設者である高見敏弘博士に定期的に会い、自身のビジョンを進めていくことに更に意欲を高めていきました。。当時、アジア学のスタッフであり後にシアトルに移り住むことになる、親友のJ.B.フーバーをこのビジョンのパートナーとして、那須で幾度も長距離ラン、飲み会、カラオケに行き、iLEAPの原型を形作っていきました。
従って、iLEAPは事実日本で生まれたと言っても過言ではないのです。
iLEAPがこうした豊かな日々から生まれ、進化していったことから、iLEAPの活動が、現代の日本の思潮と深く共鳴し合っていることを感じてきました。2011年の東日本大震災後は、それが特に顕著に見られました。日本財団、米日カウンシル、そしてTOMODACHIイニシアチブの支援により、iLEAPは東北の被災地出身者や、被災地のために活動している若きソーシャルリーダーたちのために、独自のリーダーシップ開発プログラムをデザインし開催しました。iLEAPでの経験が、参加者たちにどれほど大きな影響を与えているかを目の当たりにし、私たちは活動対象を日本全国に拡げることにしたのです。
ソーシャルリーダーシップの実現に向かう現代の若者たちが、多くの難題に直面しているという事実がある中、iLEAPの卒業生たちは将来に対してより心構えと準備ができているというデータがあります。そして10年以上に渡り関係性を構築し、卒業生を輩出して来た結果、日本のiLEAPコミュニティは全国各地に渡るものとなりました。様々な意味で、「なぜ日本なのか?」という問いへの答えは、「人」なのです。
今までの10年間の歴史を経て、次の10年間、特に日本での活動という新たな章を開く準備がiLEAPにはできています。
iLEAPのインパクトは日本全国に渡っているので、より多くの人に活動を届けられる準備は整っています。日本にいる数百、もしくは数千の、自分自身をより深く理解したいと思っている、どうやってより良い世界作りを進めて行けるのか探っている若いリーダーたちに、プログラムを届けるのを楽しみにしています。このプログラム活動を通して、iLEAPはかつて熊本の農地で学んだことを実践し続けているのです。若きリーダーたちが自信と将来のビジョンを育てるための「土壌」を耕し、自分の最大の可能性に気づくためにお互いが助け合う、強い絆で結ばれたコミュニティを作り上げる、ということを。